2001 夏山合宿 報告
2001.7.20(金) - 2001.7.24(火)   
2001/8/19更新

今回の合宿は、怪我あり転落ありで大幅に計画を変更した山行になったようです。大事に至らなかったのでよかったですが、やはり安全第一。来年は無事故で楽しく登れるように、現役諸君頑張ってください! まずは現役のみなさんお疲れさまでした。顧問の先生、同行いただいた落合OB、どうもお疲れさまでした。

顧問馬場大輔先生から合宿の報告を送っていただきましたので掲載します。今年の合宿はいろいろありましたが、考え方によっては起こるべくして起きたことなのかもしれません。今後山を安全に楽しんでいける体制を作るという観点で、いろいろご意見をいただければと思います。



 明和山岳救助隊が、今年は明和山岳自己救助隊に変身

 今年の合宿はなんか祟りでもあるのかと思うぐらい大変でした。
前兆はしっかりとあり、負荷山行の二回目で怪我人がでて、その後の猿投山タイムトライアルではルートを外してとんでもない場所へ出る奴あり。こんなんで合宿無事できるのかよと思いつつ出発の朝。
 松本の乗り換えで、遅れそうになったのがいたほかは、予想された渋滞もなく上高地到着し、記念写真をお約束の河童橋で撮ってDep.だらだら歩きの横尾までを、明神の青りんご(さっさと食えよ、ばかやろー)徳沢のソフトクリームの補給でとばす。
コースタイムより少し早いぐらいだったのかな?
 横尾の山荘前で休憩して、いよいよ真面目に歩くかなと思い生徒に長袖を着用させようかとも思ったが、これから登りだし、時間的に暑くなるし、まあいいかと甘く見たのが悲劇へのプロローグ。
 横尾をでて5分ちょい。小さい隆起を乗り越すと、ザラ板の先の道にザックを背負ったカエルがへばりついているではないか(マジでそんな風に見えたのだ、失礼)倒れて動かず、全然声も出さないから変だと思ってしばらく観察してしまったのだけど、ヤバいと思って先頭を止めて、起こしにいってみるとなんと部長S!こけの着いた板で滑ったところ、ザックの重さで踏ん張れずに前にのめったらしい。傷があったので原田氏が手当てを始めたら、腕の傷が深く医者の手当てが必要との判断で、全員横尾へバック。
 パーティーは横尾に幕営して梅林さんが面倒をみてくれ、救急車を新村橋まで手配して、S、H、Bの3人で横尾から逆戻り。救急車に乗せて、(付き添いは一人と言われて、原田氏は残留して連絡要員、馬場は町までおでかけ。)とりあえず下界へ。上高地をサイレン鳴らして走ると目立つことこの上なし。釜トンネルもサイレンの威力で先頭通過。Sは安心したらしく、山道にも関わらず爆睡。あのなあ、、。
 しかしみなさん、女性ドライバーのマナーが悪いことったらすごいものがありまする。パッシングされるまで道を譲らないのは当たり前、救急車が対向車線を走っているのにそのまま突っ込んでくるBMWのおネエさん等悪逆の限りを尽くしておりました。
まあ無事島々の先の波田という近い所の病院に入れて一安心。救急隊員はみんなとても親切な人でした。
 レントゲン撮って、麻酔して消毒して縫合。次の日も来いと言われたので宿を探して病院より徒歩5分、一泊2800円也の激安のビジネス宿へ。
 で、明くる日は消毒してもらい、OKが出たので山へ。昨日の看護婦さんがとても良くしてくれ、医師も山岳診療所への紹介状を書いてくれたりで非常に心強い。パーティーはこの日蝶ケ岳ピストン。我々二名は某所でイワナを食べてから横尾で合流。


  合宿レポート第2部

 二日目の夕方に合流して、夕飯の準備と予定の調整。近所に変な群馬の高校パーティーが。テント2張りでひとつにはグラウンドシートが、もうひとつにはサイズの違うフライがかかっておりました。
 かなり弱気になっていた残留パーティーですが、鈴木が活力を注入し、三日目は槍、四日目は大天井か燕まで、最終日下山という予定に変更。
 さて三日目は槍沢をつめて、殺生ヒュッテでテントを張っておいて、槍の穂先へ。みんな無事に登頂して、珍しくも空き空きの頂上で余裕の記念写真と乾杯。下りはおっちゃんおばちゃんを整理しながら肩の小屋へ。Sは診療所で消毒。てぶらで下山してコケるな、バカ。
 この後、飯の用意が遅くて睡眠時間が十分確保できず。
 さて明けて四日目、燕までがんばろうとDep.本来の予定は西鎌尾根だったのを、東鎌尾根へ進行。水俣乗越を過ぎてしばし、再び悲劇が明和パーティーを襲う。ルートを外すなというか、落ちるなーー!で5mちょい転落。必死で止めた転落者本人。岩にしがみついて再び傷が増加。補助ザイルを持っていたのが落っこちた奴。しかし顧問はもう一本持っていた。下りて行った原田氏と協力して人とザックを上げて手当て。
 もう再度の怪我でエスケープ決定。しかしツキのないS部長。なんか背中に憑いているような、、、。ルートは水俣乗越から徳沢へ下り、とりあえず診療所へ。ザックは全部荷物を分配して怪我人てぶら、その他はOB,顧問までボッカ。
 まあとりあえず診察の結果、一針縫ってすばらしい脳の検査をして、異常なし。昼飯の邪魔をしてしまった診療所の皆様ごめんなさい。大量のそうめんが延びてしまっていました。で、木梨平でテント。その晩顧問2名ブチ切れ。しかし事件があったというより、今までなんとなく来ていたものが、ここにきて全部弱点露出という状態かと思われる。
 5日目は帰るだけで、松本で自由時間。


 色々ありましたが、今後の現役諸君の気持ちの入り方が問題だと思われます。兼部とか、生徒会と掛け持ちとか、現状が良好であれば否定はしませんが、今のままでは確実に大事故につながっていくでしょう。もうこれ以上部員が傷つかないためには、
それなりのテコ入れも必要でしょう。合宿の検討会でのOB諸兄の指摘に、感じるところもあったようですが少々遅く、こんな合宿になりました。
 なってしまったものは事実として、今後に生かしてくれればとおもいます。部の伝統を守るためにも、より一層のOBと現役の交流をお願いしたい。

 ちょいと今の活動に疑問と不満と不信感を抱いてしまった顧問でした。 ひとりづつ山へ連れていって仕込んでやろうかな。
よければ色々意見を下さい。現役諸君も、直接ではないほうが良い場合もあるだろう。私はかなりマジになっておりますので、どんな話も真剣に聞くでしょう。

馬場 大輔 babada@tcp-ip.or.jp



落合OBより合宿の写真を多数いただきましたので、何枚かピックアップして掲載します。地名等がわかりませんので想像で書きますが、間違っていたら水野までメールをください。


槍ヶ岳 登頂

上高地 河童橋にて

リーダー鈴木君の通院処置の間 蝶が岳ピストン

リーダー復帰の後 合流して槍沢へ
槍ヶ岳目前に迫る

平成12年卒 落合建二OB
k-2@mbox.media.nagoya-u.ac.jp


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