1998年ICUサイクリング部夏ラン in 北海道 Vol.2

平成9年卒 外山 敬



2000/1/20UP

今回の夏ランの参加者は、総勢22名。途中で抜けたり加わったりする人もいるが、ほとんどの行程を20人くらいで走り続ける。ただ、全員が一列に並んで車道を走ると、迷惑にもなるし危険も高まるので、3〜5人くらいで班をつくって4班で走る。昼食の場所とルートを除けば基本的に班行動だ。

1日目の今日は、初日ということで距離は大変短く、わずか40キロだ。余裕を持って走っているので、1つ1つの休憩をたくさん取った。支笏湖については、湖に浮かぶスワンボートで遊んだり、「苔の洞門」という苔がいーっぱい生えている洞穴を歩いたりと、サイクリング以外の部分で楽しむ時間がいっぱいとれた。

夕方前にはさっさと今日の宿泊地「美笛キャンプ場」に到着し、テント設営と夕飯の用意。メニューは、何せ1年半近く前のことなので忘れてしまっている。山岳部のように記録ノートを保存して部方を作るというようなこともないので、確かめようもない。この辺が、ハードな山行と「なるい」サイクリング部の違う点の一つである。もちろん、そのどちらにも魅力があるのは言うまでもない。

2日目の朝。思いがけず、部で一番に起床してしまった。朝一のトイレから帰ってくると「いやー、やっぱり山岳部出身は朝が強いねえ」と言われてしまったからには、もう後には引けない。毎朝毎朝、一番に起きてテントを出ることが目標になり、結局、夏ランのほとんどを朝一番起床で通してしまうことに・・・。

今日は昨日と違って、85キロも走る。支笏湖からニセコの湯本温泉というところを目指すのだが、アップダウンが多い。北海道はだだっ広い印象を持っている方もいると思うが、それは北海道の中によって違う。本州のように、険しい山脈はないので、厳しい峠を越えなければならないことはそんなにないが、それでもちゃんとたくさんの峠は存在する。特にニセコのあたりは丘陵地帯なので、大きな峠はないものの、小刻みにアップダウンが連続してあり、登っては下り登っては下りと、縦走と同じような気分を味あわせてくれる。ピークで登った分だけ下っている道を見ると、「次のピークまで巨大なつりばしなんかが架かっていたらなあ」と思ってしまうのだ。結局この日は、夏ランの中でも最も辛い1日の一つに数えられる日であった。幸いにも一番早くキャンプ場に到着する班になったので、後ろから来る班よりは楽な印象ではあった。脚力の小さい、女性には、特にこの日は辛かったようで、キャンプ場にもし温泉がなかったら、次の日まで大きな疲れを残していたことだろう。今、部長をやっているやつもこの日は本当に辛かったと、後に語っている。雨が降らなかったのが不幸中の幸いであった。

ニセコ付近の峠にて

辛かった2日目が明けた3日目。昨日登った分を一気に下るルート。約25キロにわたって下りが続く。この辺は自転車ならではの楽しみである。山登りだったら、下りも膝にきて辛いけどね。下った後も、大きなアップダウンのない積丹半島の海岸沿いをすいすい走る。距離が長かったにもかかわらず、疲れを残すことなく積丹半島ユースホステルへ。今日はキャンプではなく、お布団で眠れるのだ。やったね。

しかし・・・ある意味とても恐ろしい験が我々を待っていた・・・。実はこの積丹ユース、我がサイクリング部の中は「北海道3バカユース」の一つに数えられている、一風変わったユースホステルである。ユースホステルといえば、夜のミーティングだが、ここのミーティングは凄い。ユースのスタッフ山がギターを持ち出し、ユースに伝わる伝統の旅歌をみんな大声で合唱するのである。合唱だけならともかく振りまで付いているので、大きな部屋に集まった僕らは、全員で踊り狂わなければならないのだ。こうなったら恥ずかしいなんていってられない。一緒に楽しむためには、ハマっていかねばなるまい。というわけで、我々サイクリング部のメンバーは1時間近く歌って踊り狂ったのであった。昔のユースはどこもこんな風だったと聞いているが本当か?。ちなみにこうやってミーティングの時間を過ごすユースは、北海道には襟裳岬と礼文島に1つずつあって、それを「3バカユース」と呼んでいるのだ。特に礼文島の桃岩荘ユースはすさまじい。一度行く価値はあるらしい。

トンネル崩落事故のあった付近の道。

摩周湖並みの透明度を誇る積丹の海


 

4日目の朝。普通の人にとっても嬉しいサービスを積丹ユースは提供している。季節限定ではあるが、朝取った生ウニを自分で割って食すことができる。ウニの排泄物や砂を取り除くのに時間がかかるが、大量に(10個以上!)食べることが可能。今日のルートはひたすら海岸を走り続けて小樽まで。途中、トンネル崩落事故があった、余市町、古平町を通過する。トンネルは全く新しくなっており、丈夫そうな印象を与える。もともとこの半島に道路を造るというのはかなり無理があることで、絶壁と海岸の狭い隙間に道路を造り、どうしても作れないところは、絶壁に穴を開けて通しているので、崩落や高潮の危険を感じずに入られなかった。そのかわり、今まで人がほとんど住んでいないところだったので、生活排水が流れ込んでおらず、海は摩周湖なみの透明度を誇っていた。それはそれは素晴らしい海の色でありました。

4日目、積丹ユースの朝。ウニを食べるところ。

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